8月16日/女に人生めちゃくちゃにされる男って最高

最近、乙女ゲームをやりたいやりたい!と叫んでいたのだけれど、なかなか重い腰が上がらなかった。
しかし、前回のnoteに色々書いた事で気持ちの切り替えができ、やっと乙女ゲームを再開することができた。

現在、ジャックジャンヌの根地黒門ルートをプレイ中だ。
ネタバレになるのだけれども、私はこのシナリオを読んでいる最中、『"お前のせいでもうめちゃくちゃ!"が見れて最高〜〜!!』と叫び、スタンディングオベーションをしたくなった。
恋で身を滅ぼす男の襲来である。

天才:根地黒門は、主人公:立花希佐への恋をしたことで頭の中を侵されてしまい、才能を自由自在に振るえなくなる。
才能が1人の女の子への恋心へ敗北してしまうのである。

…好きになっちゃったんだ、君のこと。
あれだけ女性を恐れていた僕が、君という女性を好きになって、そのとたん……。
何も書けなくなった。
君のことばかり考えてしまうから。

ジャックジャンヌ/根地黒門ルート

放たれる言葉のすべてが【たまらない】の一言に尽きる。

そして、才能と共に生きてきた彼は、自分の才能の
枯渇を恐れ、それが尽きる前に父親と同じように死んでしまおうとする。
立花希佐という女性に出会ってしまったことで、彼の人生はめちゃくちゃになってしまったのである。

ちなみに、この作品では2人目の【主人公への恋心でおかしくなってしまう男】である。
前回出会った世長創司郎くんは立花希佐への依存によって生きてきた男で、彼女がいないと生きていけない人間だった。
それに対して根地黒門は立花希佐に出会ってしまったせいで破綻してしまった人間だった。
主人公によってもたらされる作用が正反対の2人。
どちらにせよ、とにかく、女に人生めちゃくちゃにされる男って、最高!

8/16〆

8月15日分/Twitterにいすぎ

最近、Twitterにいすぎである。
ツイート数は元々多い方だが最近群を抜いて多いような気がする。元気になってきて思考の量が増える&楽しめることが増えてきたこと、また大好きな方々の供給が来たことにより、Twitterにぶつけるしかない状態だ。

Twitterにいすぎて困ることって多分なくて、それが幸せだと思っていればそれでいいと思う。
けれども、私の場合は特に得られるものなど何も無いことを長いインターネットとの人生で気づいてしまった。
Twitterで人との交流があるならまだしも、基本的に何の交流もなく、私はただひとりでだらだらと自分の思うことをツイートしているだけである。みんなが楽しく仲間たちと騒いでるパーティー会場の中で、私はもくもくとオードブルを1人で貪りフードファイターをしている、そんな状態が常だ。
それでもTwitterから離れられないのは、とにかく私は自分の思ってることや感情をどこかに発散させたくて仕方がないという事だ。
特に得られるものがなくても、どこかにさえ吐き出すことが出来ればそれだけで十分満足することができる。
他者からの承認ももはや必要とない、そんな境地へ至ってしまった。随分コスパの良い快楽である。

それなのに何故こんな悔やんでいるようなタイトルでnoteを始めたのかと言うと、最近、読書が全然できてないのである。
できてない、というよりも、したいのにできない といった状況。たしかに集中力は回復しているのだけれど、じっとして読書ができるほど集中力が持続しない。その分、Twitterで短い文章を作成して投稿したり、乱雑な落書きを描いたりすることに時間を費やしている。
本を読みたい。豊かな文章に心を震わせたい。語彙を増やしたい。綺麗な日本語の使い方を学びたい。
こうした欲求はあるのに体がついていかない、もしくはTwitterなどの短期的な集中力のみ必要とするものに時間を吸われ、本当にやりたいことが後回しになってしまっているのかもしれない。
『塵も積もれば山となる』という。一つ一つのツイート、これらを積み重ねて総合したらそれなりの読書時間に匹敵するのではないか?
そう思うと背筋がゾッとしてきた。
私は時間の浪費が怖くて仕方ない。常に生き急いでいるので………

心を入れ替えて読書をしたい。
現在、小川洋子さんの『猫を抱いて象を泳ぐ』を途中まで読んでいる。静謐で穏やかな日本語がやはりとても心地よい。この人の言葉から生み出される世界観は、いつも密やかで、なだからで、少し奇妙で、不思議な魅力がある。この人の小説を読んでいる時は謎めいた空間を覗き見しているような、少し背徳感の伴うような快感が私を包み込む。このままどっぷりと浸かっていきたい。無の境地に達し、なんの生産性も無くなってしまったTwitterなんか、置いておいて。

8/15 〆

8月14日分/最近好きなYouTubeの動画たち

最近不眠が酷くなってきており、その際いつもyoutubeに付き添ってもらっている。
今日は最近見た中で特に面白かったyoutubeの動画を紹介したいと思う。

https://www.youtube.com/live/zgLOodF8o7M?feature=share

https://www.youtube.com/live/zgLOodF8o7M?feature=share

力一のかなりのファンである。
拝聴してるVtuberの中では1番視聴数が多いと思う。安定したトーク力と程よく力の抜けた雰囲気が心地良く、ゆるりと聞けるのが本当にありがたい。生活音になりかけている。

最近は、特にこのバイキングあるあるがお気に入り。テレビ千鳥の1周だけバイキングしかり、バイキングにまつわるものはなんでこんなに面白いんだろう。
個人的にオムレツの時の無の時間とプチシューくらいならその場でつまんでもいいだろ!にかなりの共感をおぼえた。
(文章すべてにリンクが紐づいちゃったけれど直し方がわからないのでそのままにしておく。)

https://youtu.be/spHRQTk8SYk

連続の力一。
全員キャラが立っていてとても面白い。ミュウツーが本当にツボでサムネだけで笑ってしまう。今後、本家のミュウツーを見るだけで力一産のミュウツーを思い出して笑ってしまうんだろうな。変な体に改造されてしまった…

https://www.youtube.com/live/2U1HW4StEc0?feature=share

卯月コウの雑談シリーズ。
卯月コウのインターネットに塗れまくっていて、その上若干くたびれている感じが聞いていてとても落ち着く。ノスタルジーさえ感じてしまう。
過去にこじらせまくった哀れなオタクからきたメッセージを、その拗らせごと優しく受け止めてあげている姿を見て、卯月コウへの好感度が急上昇したのだけれど、そういう……所謂インターネット老人という言葉が当てはまるような層が流れ着く場所として今後もずっと居続けて欲しいと思う。 私もついに出会えました。

https://www.youtube.com/live/Sxi9orVEuHQ?feature=share

https://www.youtube.com/live/Sxi9orVEuHQ?feature=share

この動画の『リトバスで感情を得てそのまま人に合わせることも覚え』
『早々に太宰治人間失格を読み、まさにコイツは俺だと感情移入し、暗黒の小学生時代』
他にも色々あるけれど、この体がムズムズしてくる感じがたまらない。良い。

https://youtube.com/shorts/Pow8d1LlouE?feature=share

最近性的な話題が無理になってしまったのだけれど、バキ童はそういう話題以外にもコピペ朗読やインターネットミーム関係など多様なおもしろを提供してくれているので、継続して拝聴できている。

この一瞬でこんなに面白いのもすごい。
音読、笑い声、コピペの内容、全てが奇跡的なバランスで融合してとても面白い。

https://youtu.be/B9W9S9tSSZo

これは私がバキ童を好きになったきっかけでもある動画。相当壮絶な人生を送ってきているのに、聞いていてここまで明るく笑い飛ばせるほどユーモアを交ぜた話し方ができるのはすごいと思うし、こういう視点で生きていけば苦痛もおもしろとして昇華できるのだと生き方のコツみたいなものまで学ばせていただいた。
とにかく話が上手い。

https://youtu.be/CIszOGPHL5w

最後に紹介するのはもはや家族並みの親近感があるオモコロの3人のラジオ。
このジェフ回が好きすぎてフライドポテトのことまでいっそう愛おしくなってしまった。
とりあげられるニュース、そして3人が話すこともすべて微笑ましく、朗らかな笑いばかり浮かんでくるのでとても気分が良い。

以上です。
今夜もレッツyoutube

8/14〆

8月13日/豊かにする生活

昨晩から今朝にかけてとてもとても苦しく悲しい時間を過ごしたので、自分のご機嫌をとるために、手間をかけて、生活を少し、豊かにした。

おっきなチョコレートを乗せたスコーンを作った。
オーブンから流れ出してくる生地の香ばしい香りと、溶けたチョコレートの甘い香りがたまらなく心地よかった。
匂いを十分楽しんだあとに紅茶を入れて、そこにいちごの彩り豊かな香りを溶け込ませた。すると、胸の中の幸福度がきゅっと上がるのを感じた。
今日はロゼ ロワイヤルという紅茶を選んだ。ゴージャスで贅沢な名前で良い。

焼きあがったスコーンをかわいいお皿にこんもりと載せて、その隣には、琥珀色の液体が良く見える透明なカップを並べ、そして、綺麗な名前の詩集を手に取る。
スコーンを口に含み、甘さをたんと味わった後、華やかな液体で喉を潤す。その余韻を味わいながら、目で美しい日本語を堪能する。
至福のひとときである。

今日読んだのは、江國香織さんの『すみれの花の砂糖づけ』。甘美なタイトルにならうように、どの詩も甘く密やかで素敵だった。
美しい日本語を吸収すると、脳から体が創り変わっていくような心地がして、とても、気持ちが良い。

8時間前ほどまでの苦しい時間が嘘だったかのように、今、気持ちは晴れやかである。
こうして少しずつ、生活を豊かにしていきたい。
勿論、そうした手間もかけられないほど苦しい時もあるけれど、少しでも力があるときは事を良い方に運べるような行動に出たい。
そうして動くことが、きっと私の生きていく意味につながっていくと思う。

8/13 〆


8月12日分/自分ことが大嫌いな自分のことが大好きな私は世界に置いていかれる

今日は久々のカウンセリングだった。
『自分のことがどうしても嫌い』という話になった。
私は私のことがいつからか大嫌いだったから、私が何をしていても私が私というだけで、何かにおいて、自分のことが許せなかった。
他人が自分と同じことをしてもそれを許せるのに、私がしたとなると、無性に腹が立ってしまう。
他人に甘く、自分に猛烈に厳しいのである。

自分のことを嫌い続けていても仕方がない、自分のことを愛せるのは自分だけなのだから、ちゃんと愛してあげられるようになりたい姿になるように行動を変えていこうという気持ちに切り替えた時期もある。(他人に期待を寄せるだけ無駄、なぜなら私はそもそも他人に好かれる可能性が限りなく低い存在だからだ。)
この切り替えはとても良かったことだと思うけれど、なりたい姿になる為に行動したとてその行動をしているのは自分自身なのだから、やはり何をしていても嫌な気持ちになってしまった。
結局、自己嫌悪の気は弱まることはないのである。

こういう話をしていたら、主治医にこんなことを言われた。
『自分のことが大嫌いなら、【自分のことが大嫌いな自分】を手放すことだって出来るかもしれないのに、頑なに自分のことが嫌いなままでいるのは、もしかしたら、【自分のことが大嫌いな自分】のことが大好きだからかもしれませんね。
もしかすると、自分を嫌っている方が楽なのかもしれないですね。』
仰る通りだと思った。
多分、私は自分のことが大嫌いな自分のことが好きで、自分のことを嫌っている方が気持ちが楽なんだと思う。
大好きな自分が受け入れられない世界なんておかしいから。人に上手く交われない私は人に嫌われるような存在に決まってるから。そうじゃないと、あまりにも理不尽すぎる。理由があるから、当然だから、私は生きづらいに決まってる。
そう思うようにして生きてきた。
極めつけに主治医から、
『皮肉にも、あなたは自分を受け入れてくれなかった人達と同じ立場の人間になってるんですね』
と言われた。
これも、仰る通りである。
カウンセリングは制限時間が過ぎ、ここで終わった。
最悪のタイミングで終わってしまったと思うが、仕方ない。
仮にこの後時間があったら、今後どうすれば自分のことを愛せるのかという話になっていたのかもしれないけれど、前述のように理想の自分になったところで私が私である以上きっと自己嫌悪の気はおさまらない。八方塞がりである。

カウンセリングの内容が案外心に大きくのしかかり、帰宅後はベッドの上からほとんど動けなくなってしまった。今日は朝から調子が最悪だったのだけれど、もしかしたら今日のこれを予知してしたのかもしれない。本当に具合が悪い。1か月前ほどに戻ったかのように心も体も重たい。

うつ状態になっても希死念慮は沸かなかったのに、今はものすごく、それに近い感情が溢れてきている。
私の人生はなんでこうなってしまったんだろう。
生きてるだけで息苦しかったのに、今はこうして、本当に社会からも隔絶されてしまった。
人望も人脈もない、才能もない、こんな最悪の私がこれからどうやって生きていく?
私は好きなものがあるから、それらを応援することが生き甲斐で、そのために生きていきたいと思っていた。
けれども、好きな物たちも永遠では無いし、今後応援できるほどの体力精神力経済力が持続するとも限らない。そうなったら生きていく意味がそもそも無くなるのでは?

こうして時間は無意味に過ぎていく。私の時計は停滞したままで、世界はどんどん進んでいって、私は置いていかれる。そんな私を引っ張っていってくれる手はなく、突き動かすエネルギーもない。

途方に暮れている。


8/12 〆

8月8日─8月11日分/現実と非日常

実家を離れていたので日記の更新を停滞していた。
非日常を楽しんでいた。そういうときもあるよね!

まず、非日常に出かける前に大きな現実を突きつけられた。
病院に行ったら新しい病名を出されて困惑した。
精神と身体がめちゃめちゃになってからもう3ヶ月ほど立つのだけれど、この間そんな話は1度も出されなかった。そして最近ようやく良くなってきたと思ったら次なる試練を突きつけられて己の無力さに落胆した。その上、この前は増やされた薬のせいで新しい症状が発現してしまいてんやわんやだったのに…
この3ヶ月、私は主に床に伏すことしかできなかったのに、そうすればきっと良くなると思ってたのに、現実はなかなか上手くいかないもの。
薬を変更され、その上追加までされてしまった。
私は今後どうなるんだろう。時間だけが無意味に過ぎ去っていく。恐ろしいな。

もうどうにでもなれ!!!!!という気持ちを胸にして、遠く遠くへ出かけた。

自分の知らないものに溢れ、人が少なくて、穏やかで、良いところだった。見たことないものを見て、食べたことないものを食べて、いつもと違った場所で寝て、新鮮な気持ちで溢れていた。
自分を構成するものが少しずつ変わっていって、まるで自分も変化していくような気持ちになった。

数日間を思い返すととにかく食べてばっかりだった。呆れてしまうくらいの量を食べたけれど、こうしてもりもり美味しくご飯が食べれるようになったのも回復してる証拠だからなあ、ってちょっとだけ嬉しくなった。前までは味覚症状に苦しめられていてグミとチョコしか口にできなかったし、頑張っても一日一食が限界だった。それに比べれば大分進歩できた。頑張った。
病院で現実を突きつけられ苦しかったけれど、晴れやかな気持ちになった。

私が今こうして遠くに出かけて、ご飯をもりもり食べているのももしかしたらその新しい病気のせいなのかもしれないけれど、それでも今が楽しければいいやって思う。今が楽しくなるように、病気にもなんでも上手く対応して生きてく。
それが私の、現実への立ち向かい方だ。

8/8-8/11 〆

8月7日分/宇宙と私

いつも応援してる方のお誕生日を記念して、彼に由来のある星空を見ようと思い、プラネタリウムに行こうと思った。

まずはその前に、星空をモチーフにしたカフェに立ち寄り、とても綺麗なフルーツポンチをいただいた。
青色の液体と中に沈む星型の氷、フルーツ、丸い白玉、丸いゼリー。ひんやりと冷たくて心地が良く、甘さが気分を明るくさせた。
そして、カフェの中の薄暗い空間や、その中を微かに照らす光の粒達。幻想的で美しかった。フルーツポンチももちろん美味しかったけれど、視界に広がる広大な銀河が強く印象的であったし、その中で私とそっと身を寄せてくれているフルーツポンチのことがとても心強く思えた。

次にプラネタリウムのある科学館へ。
そこには化石や標本など色んな生物の生きた痕跡が記録されていた。長い長い年月を経て今こうして博物館に飾られている命は、一体どのようにして生きて、どのようにして死んでいったのか、私には分からなくて。けれども、わからなくてもこうして今、目の前にいる彼らは何かを現代に生きる私たちに伝えようとしているように思われて。科学館に広がる昔と今の不思議な繋がりのことをぼんやりとかんがえていた。

待望のプラネタリウム
満点の星々が泣けちゃうほどに美しかった。星の光ってどうしてこうも胸をうつんだろうな。
昔は壮大な宇宙の話を聞くと未知の莫大なモノに襲われそうな感覚になって背筋がブルブルと震えたのだけれど、今回は震えるどころか、寧ろゆったりとした穏やかな気持ちになった。
無限大に広がる星空を見て、遥か遠い遠い存在のモノ達の話を聞いていると、自分がちっぽけな存在に思えてきて、それが私には心地よかった。
私の抱えてるものも、悩みも、苦しみも、こうしてみればちっぽけなことでしかないんだなあ、と肩の力をぬくきっかけになった。
ふと、プラネタリウムの前に見た化石や標本を思い出した。これらもきっと多く存在するもの達のひとつでしか無く、ちっぽけな存在だったのだろうけれど、それでも今、私の心に訴えかけてくる何かを持っていた。
ちっぽけな存在でも、何かを残すことは出来る。
己の存在の小ささ、けれどもそんな平凡なもの達にも宿っている"特別"。
そういうことを一日、考えた。
考えるきっかけを与えてくれたアイドルさんへ感謝。お誕生日おめでとうございました。

8/7 〆