8月12日分/自分ことが大嫌いな自分のことが大好きな私は世界に置いていかれる

今日は久々のカウンセリングだった。
『自分のことがどうしても嫌い』という話になった。
私は私のことがいつからか大嫌いだったから、私が何をしていても私が私というだけで、何かにおいて、自分のことが許せなかった。
他人が自分と同じことをしてもそれを許せるのに、私がしたとなると、無性に腹が立ってしまう。
他人に甘く、自分に猛烈に厳しいのである。

自分のことを嫌い続けていても仕方がない、自分のことを愛せるのは自分だけなのだから、ちゃんと愛してあげられるようになりたい姿になるように行動を変えていこうという気持ちに切り替えた時期もある。(他人に期待を寄せるだけ無駄、なぜなら私はそもそも他人に好かれる可能性が限りなく低い存在だからだ。)
この切り替えはとても良かったことだと思うけれど、なりたい姿になる為に行動したとてその行動をしているのは自分自身なのだから、やはり何をしていても嫌な気持ちになってしまった。
結局、自己嫌悪の気は弱まることはないのである。

こういう話をしていたら、主治医にこんなことを言われた。
『自分のことが大嫌いなら、【自分のことが大嫌いな自分】を手放すことだって出来るかもしれないのに、頑なに自分のことが嫌いなままでいるのは、もしかしたら、【自分のことが大嫌いな自分】のことが大好きだからかもしれませんね。
もしかすると、自分を嫌っている方が楽なのかもしれないですね。』
仰る通りだと思った。
多分、私は自分のことが大嫌いな自分のことが好きで、自分のことを嫌っている方が気持ちが楽なんだと思う。
大好きな自分が受け入れられない世界なんておかしいから。人に上手く交われない私は人に嫌われるような存在に決まってるから。そうじゃないと、あまりにも理不尽すぎる。理由があるから、当然だから、私は生きづらいに決まってる。
そう思うようにして生きてきた。
極めつけに主治医から、
『皮肉にも、あなたは自分を受け入れてくれなかった人達と同じ立場の人間になってるんですね』
と言われた。
これも、仰る通りである。
カウンセリングは制限時間が過ぎ、ここで終わった。
最悪のタイミングで終わってしまったと思うが、仕方ない。
仮にこの後時間があったら、今後どうすれば自分のことを愛せるのかという話になっていたのかもしれないけれど、前述のように理想の自分になったところで私が私である以上きっと自己嫌悪の気はおさまらない。八方塞がりである。

カウンセリングの内容が案外心に大きくのしかかり、帰宅後はベッドの上からほとんど動けなくなってしまった。今日は朝から調子が最悪だったのだけれど、もしかしたら今日のこれを予知してしたのかもしれない。本当に具合が悪い。1か月前ほどに戻ったかのように心も体も重たい。

うつ状態になっても希死念慮は沸かなかったのに、今はものすごく、それに近い感情が溢れてきている。
私の人生はなんでこうなってしまったんだろう。
生きてるだけで息苦しかったのに、今はこうして、本当に社会からも隔絶されてしまった。
人望も人脈もない、才能もない、こんな最悪の私がこれからどうやって生きていく?
私は好きなものがあるから、それらを応援することが生き甲斐で、そのために生きていきたいと思っていた。
けれども、好きな物たちも永遠では無いし、今後応援できるほどの体力精神力経済力が持続するとも限らない。そうなったら生きていく意味がそもそも無くなるのでは?

こうして時間は無意味に過ぎていく。私の時計は停滞したままで、世界はどんどん進んでいって、私は置いていかれる。そんな私を引っ張っていってくれる手はなく、突き動かすエネルギーもない。

途方に暮れている。


8/12 〆