8月7日分/宇宙と私

いつも応援してる方のお誕生日を記念して、彼に由来のある星空を見ようと思い、プラネタリウムに行こうと思った。

まずはその前に、星空をモチーフにしたカフェに立ち寄り、とても綺麗なフルーツポンチをいただいた。
青色の液体と中に沈む星型の氷、フルーツ、丸い白玉、丸いゼリー。ひんやりと冷たくて心地が良く、甘さが気分を明るくさせた。
そして、カフェの中の薄暗い空間や、その中を微かに照らす光の粒達。幻想的で美しかった。フルーツポンチももちろん美味しかったけれど、視界に広がる広大な銀河が強く印象的であったし、その中で私とそっと身を寄せてくれているフルーツポンチのことがとても心強く思えた。

次にプラネタリウムのある科学館へ。
そこには化石や標本など色んな生物の生きた痕跡が記録されていた。長い長い年月を経て今こうして博物館に飾られている命は、一体どのようにして生きて、どのようにして死んでいったのか、私には分からなくて。けれども、わからなくてもこうして今、目の前にいる彼らは何かを現代に生きる私たちに伝えようとしているように思われて。科学館に広がる昔と今の不思議な繋がりのことをぼんやりとかんがえていた。

待望のプラネタリウム
満点の星々が泣けちゃうほどに美しかった。星の光ってどうしてこうも胸をうつんだろうな。
昔は壮大な宇宙の話を聞くと未知の莫大なモノに襲われそうな感覚になって背筋がブルブルと震えたのだけれど、今回は震えるどころか、寧ろゆったりとした穏やかな気持ちになった。
無限大に広がる星空を見て、遥か遠い遠い存在のモノ達の話を聞いていると、自分がちっぽけな存在に思えてきて、それが私には心地よかった。
私の抱えてるものも、悩みも、苦しみも、こうしてみればちっぽけなことでしかないんだなあ、と肩の力をぬくきっかけになった。
ふと、プラネタリウムの前に見た化石や標本を思い出した。これらもきっと多く存在するもの達のひとつでしか無く、ちっぽけな存在だったのだろうけれど、それでも今、私の心に訴えかけてくる何かを持っていた。
ちっぽけな存在でも、何かを残すことは出来る。
己の存在の小ささ、けれどもそんな平凡なもの達にも宿っている"特別"。
そういうことを一日、考えた。
考えるきっかけを与えてくれたアイドルさんへ感謝。お誕生日おめでとうございました。

8/7 〆