8月6日分/豊かな生活

昨日はほんと〜〜〜にダメな日で、久しぶりに大体の時間を床の上で過ごした。
目が覚めた瞬間、「あ、ダメだこれ…」と何かを悟ったのだけれど、横になっているだけじゃ何も変わらないので、どうにか気分転換になるようにと、ホットケーキを作った。

今回はメレンゲを泡立ててみたのでいつもよりあつみがあった。しかし、張り切ってメレンゲを泡立てすぎたからなのかかなり固めのものができあがってしまい、ホットケーキとふわふわというよりはむっちりとした食感だった。
元々ホットケーキはしゅわしゅわしてるものよりしっとりしてるものが好きだったので全然構わないのだけれど…ちなみにプリンもとろとろよりもむっちり派、チーズケーキもスフレよりもベイクド派。世の中の"生"ブームに全力で逆行している。

ホットケーキを焼き上げたら、紅茶を茶葉からいれた。ルピシアイングリッシュブレックファースト。シンプルで癖のない味だから水同様にごくごくと飲める。
立ち込める紅茶の香り、そしてホットケーキの柔らかい匂いにバターの魅惑的な香り、そしてメープルシロップの甘いあまい匂い。まさに至福といえる空間が出来上がった。

ホットケーキを焼くことも、メレンゲを泡立てることも、紅茶を茶葉から入れることも手間がかかることだけれど、このほんの少しの手間でなにやら満足度や幸福度が一気にあがる。
食後からは一気に心身共にダメ…になってしまったけれど、この食事のひと時はとても安らかで、心穏やかで、しあわせだった。

8月6日 〆

8月5日分/花火の写真と最近の体と心

たくさんの花火を見に行った。
花火、なんでかわからないけれどかなり好きみたいで、見る度にジ〜ン……と大きな感動をおぼえる。
一瞬で消えちゃう華やかさが良い。

なかなか良い場所で見れたので、せっかく撮った写真をいくつか載せとく。

菊みたい


ハートみたいで可愛い


向日葵みたい

また来年も見たいな。

最近の体調の話。 

寝たらこのまま死んでしまうような気がして怖くなる。
また、馬鹿みたいな話なんだけれども、真剣に誰かに殺されるんじゃないかと震え上がってしまい、眠れなくなる。
謎の焦燥感?に駆られてしまう。落ち着きがなくなってきた。じっと座ってると何かムズムズするというか、心臓がバクバクとしてしまう。困った。 本とか読みたいのに……

良くなってるのかなってないのか分からず不安。今日この頃。

8/5 〆

8月4日分/詩歌の話 三毛縞斑、そして天祥院英智の話

もう2日連続で日記の更新をするのを怠っているところに己の継続力のなさを痛感しました。気をつけよう。

最近、詩や短歌を拝読することにハマっている。
詩や短歌には、作者の生の感情がそこに封じ込められているようで良い。小説以上に作者を身近に感じられることのできる場だと思う。
また、背景にリアリティを感じるので、その言葉に共感出来た際は自身と近しい人間が世にいたんだと嬉しくなれる。というわけで、最近は詩や短歌を進んで目にする機会が多い。

最近読んだ中では、宇野なずきさんの詩集に心惹かれた。

好きだった時間が損失になるのを避けようとして離せない糸

『透明な砂金』宇野なずき

大丈夫みんなひとりじゃないよってずっとひとりで歌っています

『最初からやり直してください』宇野なずき

漠然とした切なさを言語化してくれる素敵な人だと思う。

わたしはこの2つ目の詩に共感するのと同時に、三毛縞斑の姿を思い浮かべた。

どこでも!
君が落ち込んでいるならそう
俺がすっ飛んで会いに行こう

『愉快痛快That's alright!』MaM

ツラい時 会いたい時 いつでも呼んでよ

『Blooming World』MaM

彼はいつでもどんなときにも手を差し伸べてくれるとても暖かい人だ。でも、そんな彼に手を差し伸べた人は過去にはいなかった。そして、今彼を愛した人が手を差し伸べたとて、三毛縞は拒絶して跳ね返してしまう。決して誰にも犯すことのできない孤独と共に生きてきた。
愛されなかった子供を心の底に抱えながら、子をあやし励ます母親に自分自身がなりながら、生きていた。とても懸命に生きている男だ。
そんな彼の姿に、宇野なずきさんの先程の詩がピッタリとハマるように思えた。

次に、北原白秋のとある言葉にも、とても強く好きな人の姿を感じ取った。(教科書に乗るような文豪や詩人にに関しては呼び捨てのほうがしっくりくるのって不思議!)
最後にその素敵な言葉を引用して〆ようと思う。

永劫を一瞬に絡めて光るこの生命、この人間の魂は愛なしには片時も生きられぬ。

『愛の詩集』北原白秋

天祥院英智くんの生き方、きっと、多分、こう。


8/4 〆

8月3日/ユーミンのひこうき雲

今日はダメな日で、一日ほぼ横になって終わってしまったのでこれとして特に書くことがない。
ので、好きな曲の話をする。

荒井由実の『ひこうき雲』が好き。

https://music.apple.com/jp/album/%E3%81%B2%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%8D%E9%9B%B2/1436009088?i=1436009093

先日、『君たちはどう生きるか』を見たことがきっかけでジブリの主題歌のプレイリストをよく再生しているのだけれど、この曲が特に好きで、頻繁に聞いている。

儚くて、それでも力強い。切なくて、けれども眩い。相反するふたつの印象が織り交ぜになっていて美しい。
夢や憧れに向かって自分の身を焦がしながらもひたむきに進んでいくのはとても綺麗な生き方だと思う。

ほかの人にはわからない
あまりにも若すぎたと
ただ思うだけ
だけど しあわせ

荒井由実ひこうき雲

2番のこの歌詞が特に印象に残る。しあわせに生きていけていたのなら、それが一番だと思う。
この子が最後まで好きなことに夢中になって散って行くことができて良かったと、胸を撫で下ろすような気持ちになる。

個人的にユーミンの荒削りな歌声と歌詞やメロディがピッタリ当てはまっているように感じられるのも好きな理由のひとつ。私はユーミンの曲でこの『ひこうき雲』が1番好き。

こういう、泣きたくなるような、勇気づけられるような、切なく力強い歌詞やメロディを生み出せるのは、月並みな言葉だけれど、本当にすごいなあって思う。

8月3日〆

8月2日/うさぎの話

私はものすっごくうさぎが大好き。とても、本当に、心から、大好き。なんて言ったって可愛すぎるから。ぴょこんと立った耳、まんまるのお顔、ふわふわの毛、ちっちゃいまんまるのしっぽ、ひくひく動く鼻……可愛い要素しかない。可愛いの天才。
うさぎのキャラクターも、実物のうさぎも大好き。

今日は、そんな愛くるしくてたまらないうさぎちゃん達と触れ合ってきた。うさぎカフェに行った。

なんかもう……至福のひとときで思い返すだけで恍惚のため息が漏れ、うっとりとした気分になってしまう。今でもあのふわふわの毛の肌触りを生々しく右手が覚えている。かわいい。可愛すぎる……
あんなにかわいい生命体とたらふく触れ合うことが出来たなんて、私はとても幸せ者!

今回赴いたうさぎカフェはとっても丁寧なサービスをしてくれる場所で、時間内で1匹のうさぎを独占できた。その指名独占時間×4回を経て、私は合計4羽の愛くるしいうさぎちゃんとたらふく触れ合うことができたわけである。
みんな甲乙つけたい可愛さだった。

まずは1羽目。

とろんと溶けているふわふわ。毛がふっわふわで可愛すぎるうさぎちゃん。『ライオンヘッド』という種類らしい。
初手で膝に飛び乗ってきてくれて、私は悶絶していたのだけれど、よくみると思い切り脱糞していて笑ってしまった。
開幕脱糞をきめこんだこのふわふわちゃん。たくさん膝に飛び乗ってくれてファンサービス旺盛だった。その分たくさん脱糞もしていた。

2羽目。

地雷系女子並みにがっつりアイラインを引きうるうるのカラコンを入れているような可愛すぎるうさぎちゃん。
彼は私たちがふわふわちゃんを撫でている時にゲージの中から鋭い視線をこちらに寄越していた。彼は我々の持っているおやつに夢中だったのだ。

膝に飛び乗り、おやつを催促する。おやつを食べ終わると膝から降り、脱糞&放尿&たそがれる。
オンとオフの切り替えがすさまじく、『ホストじゃん』と同行者と会話をした。素直に生きていて最高。

3羽目。

凄まじい勢いで膝に飛び乗ってきてくれたときの画像が残っていたので、自慢も含めて掲載する。
赤い目に白いふわふわの毛、教科書のようにお手本どおりのうさぎちゃん。瞳をよく見ると金色にキラキラと輝いていて、超絶美人さんで可愛すぎるうさぎちゃんだった。
この子はファンサービスが旺盛。アイドルだったら確実にセンターを張っているであろうプロ意識の高さ。
彼は初手から違った。脱糞の前にまずはぴょこんぴょこんと跳ねまわり、膝の上にのっておやつを食べてくれた。私たちが次いでおやつを差し出すとなかなかの勢いでぴょんぴょんと跳ね、食らいつく。二本の足で立ち上がり、我々の胸元まで這い上がってくる。私は興奮で倒れそうだった。
たんとファンサービスをしてくれたあと、急におやつに興味を示さなくなり、そっぽ向いてふんだんに脱糞しはじめた瞬間を見た時は、彼のプロの仮面が外された瞬間だと思った。『給料分は仕事してやるか…』て態度は存分に示されていた。さすが店主から『初心者さんにおすすめ!』と言われるほどのうさぎちゃんだ。

4羽目。

ピーターラビットがそのまま3次元に出てきたかのような見た目をしている可愛すぎるうさぎちゃん。今日触れ合った中での唯一の女の子だった。
彼女は気分屋らしく、突然ぷい、とそっぽを向き、我々から遠ざかってしまった。女の子はそれくらい強気で生きてくのが良いんだ……。
脱糞した後はソファーの上に二度と戻らなかった為、うんこには塗れないという意識の高さも態度で示した誇り高い女性だった。

ツン、とした態度も見せつつ、彼女は手厚いファンサービスを

お顔ゴシゴシしてる〜〜〜!!!!!!!!!
この可愛さには私たちだけでなく、他の客も雄叫びを上げた。ちっちゃなおててでお顔を精一杯拭いている姿が愛おしくて涙が出てきそう。このシーンを見た瞬間、私の視界は白んだのでもう少ししたら天国に召されていたのだと思う。天へと昇る可愛さ。

以上、50分で4匹と戯れてきた。まさに『至福のひととき』と形容できる贅沢な時間だった。
人生に疲れた時、また足を運んでこの可愛さに脳を溶かされ、身も心もうさぎちゃんに癒されたい……
本当に可愛い。だいすき。うさぎちゃん……♡

8/2 〆


8月は毎日日記をつけたい/ジブリの話

以前、精神科で『毎日日記をつけると良い』と言われたので、そろそろ試してみようと思う。最近は嬉しいことに体調が良く、Twitterにも浮上してツイートしているのでこれが日記とも言えると思う。しかし、それなりに長い文章を書く練習もしたいし、noteはTwitterとは違い、個人の空間がしっかりとあるので、自由気ままに思いを連ねることが出来る気がする。だからなるべくnoteに日記をつけていきたい。
とか何とか考えていながら、もう1日の分を投稿するのを忘れているのでかなり幸先が怪しい。頑張ります。

君たちはどう生きるか』を見た。宮崎駿の趣味というか、宮崎駿が映像作品を通して私たちに伝えたいことがどんなものかを象徴したような作品だと思った。作品の中に宮崎駿の姿があった。
色々な考えがあって予告や広告がないのだと思うのだけれど、これはそういった事前の知識を植え付ける映像や言葉を作り出すのは難しいものだと思う。敢えて作らない、というより作るのが難しい、事前に先入観を持つと作品を通して伝えたかったことが伝えられないような気がする。とにかく、何かを象徴しているであろう描写が多いので、考察を巡らせるのがとても楽しそうであるけれども、敢えて何も考えず、そのままを感じてみるのも良いかもしれない。何故か、そう思わせるものがあった。雰囲気だけを感じとりたいと思わせる魅力があった。だからこそ私はインターネットで考察記事も検索しない。

着想を得たであろう小説の『君たちはどう生きるか』は目を通したことがない。恐らく、目を通してから見ると尚沁みるのだと思う。

小説の知識がゼロという状態だけれど、『君たちはどう生きるか』という言葉を受けて、考えをめぐらせた。
"どのように生きるか"はここ最近の私の課題だ。
何が幸せなのか。何が大切なのか。社会的な価値観に惑わされず、他人の目を気にせず、自分自身と向き合って見極めなければならない。
私は変なところでプライドが高いので、それ故に他人の目が気になってしまいかなり自分の価値観に影響を及ぼしていたのだと最近気づいた。自分はマイノリティだと自覚していながらも、マイノリティとして意見を主張し、そうして生きていくには精神的な強さが足りなかった。だから私は変に周りを気にして、社会的な評価に合わせるように生きてしまった。そうして、めちゃくちゃになってしまった。

社会には色んな人がいる。フィクションに出てくる登場人物のように、多種多様で、過酷な人生を、それぞれ生き抜いている。それぞれがそれぞれの価値観を軸に生きていて、誰も間違ってなんか居ない。もちろん私も。私も間違ってない。多分。
どう生きてもきっと、大丈夫。

『君たちがどう生きるか』には色んな人生を背負っている人が出てきた。しかし、誰も否定されず、各々の価値観や考えを尊重されていた。そんな環境の上で、個々が自分と正直に向き合い、困難を乗り越えていた。
否定をしないで受け入れる。だからこそ、向き合える。
そんな生き方を、私は学んだ。

そうやってやっていけるように、また日記をつけることがそのきっかけとなるように、なるべく頑張って継続していきたいなあ。

8/1 〆

何が楽しくて

※これは私がうつ病になり数ヶ月の自宅療養が必要だと判断される寸前に書いた文章である。(約1ヶ月前)

何が楽しくてTwitterをやっている?という話。

SNSとの向き合い方を一生考えている。精神状態が悪くなる理由の一つでもある。しかし、精神状態が良くなる理由の一つでもある。一長一短。


○苦しみの理由

▼単純に友達ができない
分かり合える人(解釈、オタクとしてのスタンス、ノリ等)と出会いたくてアカウントを作った。
歯に衣着せぬ言い方をするけれど、正直メインジャンルの界隈で基本的に"バズる&盛り上がるノリ"というものに、私はあまり合わないことが多かった。

その為、まずは自分の思う気持ち、解釈を自分の言葉で率直に表現することで、共感してくれる人が近寄ってくれるのを望んだ。
(自分から探せばいいんだろうけど、パブサするとやはりあまりノリが合わない…方々が多く見られた為、そういうのを沢山見れば見るほど精神がすり減っていったのでパブサそのものをやめた。)

アカウントを作ったきっかけは推しのとある供給に対する思いを呟きたかったからだ。
当時、私がインターネットで主に目にした意見は私の考えとは正反対であったり、また推しのことを馬鹿にするような(貶し笑いのような内容)のものが多く、私は酷く心を痛めていた。(貶し笑いが苦手というわけではないが、その供給の内容に対して私は純粋に喜びたかったので、とやかく嘲笑されること・バズりやすい構文、言葉回しでおもちゃのようにされてるのが耐えられなかったのだ。)
私はひたすら喜びを発信した。

しかし、当時は誰も見つけてくれなかった。
仕方の無いことだ。私は文章力も無い、かつ人目を引くような素敵なイラストも書けない。多くの人が同調してくれるような魅力が無かった。
私はこれを受けて、己の無力さを痛感した。

そのあと、タグをやった。
私は趣味でイラストを投稿することが好きなので、ある程度下手な絵にも寛容そうなイラスト制作経験者の人をターゲットにした。それに加えて、私は人の想いの籠った作品を見るのも好きだった。
そうしてFFの人は増えたが、TLで構築されたのは『品評会』だった。
みんな各々イラストを投稿し、それをRTし、感想を言い合う。この行為は愛に溢れて素敵だと思ったけれど、
正直私は作品の褒め合いよりも解釈や妄想の共有をしたかった。
FFの人たちとやりたいことが噛み合わなかった。仕方ないことだ。
私はその褒め合いのコミュニティに属せず、友達もできず、皆がエアリプを送り楽しんでる様を空虚な目で見つめていた。
これは被害妄想だか、私のあげてるあれこれも見下されてるのではないかと怖くなった。
申し訳ないけど、9.5割はブロ解させていただいた。繋がってても交流もなかったし…


詳細は伏せるが、その中で唯一少し仲良くなれたと思ったFFの人とトラブルがあった。
どんどん、他人が怖くなってきた。
ここまで来たらもう人付き合いを諦めればいいのだけれど、相変わらず私は解釈やスタンスが合う人と仲良くなりたい…!って欲はある。
欲があるからこそ、友達ができないのがとても苦しい。


▼どうしても克服できない劣等感
劣等感がものすごい。
上述したように、私は過去に自分の思いの丈を呟いても誰にも共感して貰えなかった悲しい気持ちがある。己の無力さを痛感した。
もし私にもっと力があればこんな思いすることも無かったのではないかとずっと思っている。

他人に歩み寄るのも怖くなってしまった。
所謂『擦り寄り』だと認識されるんじゃないかと申し訳なくなったし、私がSNSに絵等を掲載してる以上、仲良くなった(仮に)人は私の載せてるものに"ふぁぼRTをしなければならない"と気を使ってしまうだろう。それが申し訳なかった。


▼人付き合い、難しい
まあこんな思いを抱えてる以上、人付き合いに対するハードルはあがる。
その上メインジャンルは非常に解釈が別れるジャンルであり、日々ファンの間でも諍いがある。
私はどちらかと言うとマイノリティ側だったので、まずこの時点で分かり合える人が少ない。

創作者間の競い合いが嫌になった私は、ノーマルのタグの方で友達を募集した。
しかし、そこでもあまり上手くいかなかった。
私はあれこれ色んなキャラに対する妄想をする。
その為、同担拒否云々の配慮がそもそもできない。かつ普通に下品なツイートもする。一般的に見てクオリティの低いイラストも投稿する。
こんな人間なので、あまり反りが合わなかった。
オシャレなタグ画も作れないし、みんなが送ってるような内容のリプも送れなかった(ノリが合わないのかな…)
またTLで皆が楽しくエアリプを送りあい楽しんでる様を、空虚な目で眺めた。羨ましかった。
結局、みんなブロ解した。交流もほぼなかったし。


▼どうしても得られなかったからこそ生じる妬み
てなわけで、私は友達ができなかった。受け身の姿勢で申し訳ない。もっと積極的になればもう少し変わったのかもしれない。
しかし解釈違いを多く見ることで精神がすり減ること&劣等感によりもう人に歩みよる気力が無くなってしまった。

友達ができなかったので、現場に言った時にオタク達が仲良く楽しそうにしてるところを見ると嫉妬と虚しさでいっぱいになってしまう。羨ましい。私もあなた達みたいに楽しくやりたかった…(己の無力さ&積極性のなさが全ての原因)

▼歩み寄ってくれた優しい方々
数名、色々な媒体で歩み寄ってくれた方々がいる。
詳細は伏せる。
大体が『界隈で上手くいかなくて…』とか『今界隈に馴染めなくて…』といった話をしてくれた。
悩み相談的な側面が大きかった。
勇気をだして私のような人間に歩み寄ってくれたことは本当に、とっても嬉しかった。ありがとうございます。
しかし、もしかして私は『友達がいないこの人になら、界隈であったあれこれを愚痴ることができる存在』として見なされてるのではないかと考えるようになってしまった。
ちなみに、前述したトラブルがあったFFの人との基本的な話の内容もこんな感じだった。
私と話す時は基本的に『界隈と分かり合えない』『フォロワーとの交流が正直めんどくさくて…』などの相談だった。しかしその人は私にあれこれ話した後、普通にTLで色んな人にエアリプを送り合い気持ちの良いコメントを送っている。 私にしか相談できなかったんだろうな。でも私にもたまにはそういう綺麗な面で接して欲しかったな…

私に話すことでその人の苦しみが軽減されるのなら、(役に立てるのなら)それで良い。
でも正直、私は『愚痴を聞く係』というよりも、キャラクターの話をしたかった。
それに加え、私が悩みを伺ったところで、私はその人たちの仲良しグループ(その人にとっての普段仲良くする相手)には決してなれないのである。
あくまでその人たちは普段仲良くしてる人たちがいて、その中であったモヤモヤを私に話してくれてるのだ。あくまで私に『友達がいない』ことが前提であり、『捌け口』としての扱いだ。

色々な人から話を伺う中で、私が強く思ったことは正直「人間関係ってほんとうに大変だな…」って気持ちだった。正直恐れがより高まった。
でも歩み寄ってくれたことも、私が役に立てた(?)ことも嬉しかった。友達にはなれなくてもいいので…


また、たまにお題箱で優しいメッセージをくれる方がいる。
以前ちょっと苦しいので優しい言葉が欲しいです…なんて恥ずかしながらツイートしたところ、とても優しいメッセージをくださった方がいた。
本当に嬉しかった。直接お礼を言わせて欲しいし、欲を言うなら仲良くなりたかった。
でも仲良くなり方が分からない。匿名性だから仕方ないのだけれど……
こうして歩み寄ってくれて、日頃私の考えに共感してくれる人。そんな人とこそ私は仲良くなりたかった。きっと、私もそんな人の考えに共感できることも多いだろうし…… でもそれができない。悲しい。

▼それでも続ける理由→
真剣に熱心に、ひとつのものを愛していたことを記録しておきたい

まあこういうことが続き、Twitterというものに常に苦しみが伴うことになった。
友達はできない!劣等感はすさまじい!それ故に他人が怖い!
それでもやめられない理由がある。
それは、『大好きな人達に対する想いをどこかに記録しておきたい、私が何かを全力で愛した形を残しておきたい 』という気持ちがあるからだ。
それなら日記帳でやれるだろ!って話だけれど、やっぱり私はまだ分かり合える人との出会いを望んでいる。諦めきれない自分が嫌になる。諦められたら楽になれるのに……
まだまだ大好きな気持ちは止まらない。やりたいことも沢山ある。下手でもいい。馬鹿にされでもいい。もう、共感が得られなくてもいい。(とっくに慣れたよ……)
私は私のやりたいことをやり、言いたいことを言う!愛がある限り…
『想い』そのものには上手いも下手も優劣もないので。

▼現状
今心身ともに重傷である。
ペンが握れず絵がかけない、集中力が続かず文章も打てない。音楽もできない。ゲームにログインできない。趣味に没頭することができない。
そのうえ、『インターネットでさえも上手くいかなかった』という現実がさらに私を苦しめている。
ゲームやりながらも『私、こんなに好きなのに、こんなに愛してるのに、いくらでもお話できるのに、それが出来る相手とはほぼ出会えなかったんだ…』なんて凹んでしまう。
もうどうしようもないのである。

でも、『大好きな人達に対する想いをどこかに記録しておきたい、私が何かを全力で愛した形を残しておきたい 』という思いは相変わらずある。
だから、やめることができない。

▼離脱したい、でもどうせできないからこそ向き合い方を変えていきたい

やめることができない、でも苦しい。
ならTwitterというものとの向き合い方を変えるべきだ。
どうすればいいのか絶賛悩み中だけれど、
『もう失うものも何も無いのだから他人の目を気にせずやりたいことひたすら投下しまくって気が済むまでやり続ける』
のが1番だと思う。
友達がいない為、失うものなんてほぼないので!

哀れで空虚で望むものは手に入らなかったけれど、私の愛を残す場所として、1種の自己陶酔として、上手く付き合っていきたいと思う。