もう2日連続で日記の更新をするのを怠っているところに己の継続力のなさを痛感しました。気をつけよう。
最近、詩や短歌を拝読することにハマっている。
詩や短歌には、作者の生の感情がそこに封じ込められているようで良い。小説以上に作者を身近に感じられることのできる場だと思う。
また、背景にリアリティを感じるので、その言葉に共感出来た際は自身と近しい人間が世にいたんだと嬉しくなれる。というわけで、最近は詩や短歌を進んで目にする機会が多い。
最近読んだ中では、宇野なずきさんの詩集に心惹かれた。
漠然とした切なさを言語化してくれる素敵な人だと思う。
わたしはこの2つ目の詩に共感するのと同時に、三毛縞斑の姿を思い浮かべた。
彼はいつでもどんなときにも手を差し伸べてくれるとても暖かい人だ。でも、そんな彼に手を差し伸べた人は過去にはいなかった。そして、今彼を愛した人が手を差し伸べたとて、三毛縞は拒絶して跳ね返してしまう。決して誰にも犯すことのできない孤独と共に生きてきた。
愛されなかった子供を心の底に抱えながら、子をあやし励ます母親に自分自身がなりながら、生きていた。とても懸命に生きている男だ。
そんな彼の姿に、宇野なずきさんの先程の詩がピッタリとハマるように思えた。
次に、北原白秋のとある言葉にも、とても強く好きな人の姿を感じ取った。(教科書に乗るような文豪や詩人にに関しては呼び捨てのほうがしっくりくるのって不思議!)
最後にその素敵な言葉を引用して〆ようと思う。
天祥院英智くんの生き方、きっと、多分、こう。
8/4 〆