何が楽しくて

※これは私がうつ病になり数ヶ月の自宅療養が必要だと判断される寸前に書いた文章である。(約1ヶ月前)

何が楽しくてTwitterをやっている?という話。

SNSとの向き合い方を一生考えている。精神状態が悪くなる理由の一つでもある。しかし、精神状態が良くなる理由の一つでもある。一長一短。


○苦しみの理由

▼単純に友達ができない
分かり合える人(解釈、オタクとしてのスタンス、ノリ等)と出会いたくてアカウントを作った。
歯に衣着せぬ言い方をするけれど、正直メインジャンルの界隈で基本的に"バズる&盛り上がるノリ"というものに、私はあまり合わないことが多かった。

その為、まずは自分の思う気持ち、解釈を自分の言葉で率直に表現することで、共感してくれる人が近寄ってくれるのを望んだ。
(自分から探せばいいんだろうけど、パブサするとやはりあまりノリが合わない…方々が多く見られた為、そういうのを沢山見れば見るほど精神がすり減っていったのでパブサそのものをやめた。)

アカウントを作ったきっかけは推しのとある供給に対する思いを呟きたかったからだ。
当時、私がインターネットで主に目にした意見は私の考えとは正反対であったり、また推しのことを馬鹿にするような(貶し笑いのような内容)のものが多く、私は酷く心を痛めていた。(貶し笑いが苦手というわけではないが、その供給の内容に対して私は純粋に喜びたかったので、とやかく嘲笑されること・バズりやすい構文、言葉回しでおもちゃのようにされてるのが耐えられなかったのだ。)
私はひたすら喜びを発信した。

しかし、当時は誰も見つけてくれなかった。
仕方の無いことだ。私は文章力も無い、かつ人目を引くような素敵なイラストも書けない。多くの人が同調してくれるような魅力が無かった。
私はこれを受けて、己の無力さを痛感した。

そのあと、タグをやった。
私は趣味でイラストを投稿することが好きなので、ある程度下手な絵にも寛容そうなイラスト制作経験者の人をターゲットにした。それに加えて、私は人の想いの籠った作品を見るのも好きだった。
そうしてFFの人は増えたが、TLで構築されたのは『品評会』だった。
みんな各々イラストを投稿し、それをRTし、感想を言い合う。この行為は愛に溢れて素敵だと思ったけれど、
正直私は作品の褒め合いよりも解釈や妄想の共有をしたかった。
FFの人たちとやりたいことが噛み合わなかった。仕方ないことだ。
私はその褒め合いのコミュニティに属せず、友達もできず、皆がエアリプを送り楽しんでる様を空虚な目で見つめていた。
これは被害妄想だか、私のあげてるあれこれも見下されてるのではないかと怖くなった。
申し訳ないけど、9.5割はブロ解させていただいた。繋がってても交流もなかったし…


詳細は伏せるが、その中で唯一少し仲良くなれたと思ったFFの人とトラブルがあった。
どんどん、他人が怖くなってきた。
ここまで来たらもう人付き合いを諦めればいいのだけれど、相変わらず私は解釈やスタンスが合う人と仲良くなりたい…!って欲はある。
欲があるからこそ、友達ができないのがとても苦しい。


▼どうしても克服できない劣等感
劣等感がものすごい。
上述したように、私は過去に自分の思いの丈を呟いても誰にも共感して貰えなかった悲しい気持ちがある。己の無力さを痛感した。
もし私にもっと力があればこんな思いすることも無かったのではないかとずっと思っている。

他人に歩み寄るのも怖くなってしまった。
所謂『擦り寄り』だと認識されるんじゃないかと申し訳なくなったし、私がSNSに絵等を掲載してる以上、仲良くなった(仮に)人は私の載せてるものに"ふぁぼRTをしなければならない"と気を使ってしまうだろう。それが申し訳なかった。


▼人付き合い、難しい
まあこんな思いを抱えてる以上、人付き合いに対するハードルはあがる。
その上メインジャンルは非常に解釈が別れるジャンルであり、日々ファンの間でも諍いがある。
私はどちらかと言うとマイノリティ側だったので、まずこの時点で分かり合える人が少ない。

創作者間の競い合いが嫌になった私は、ノーマルのタグの方で友達を募集した。
しかし、そこでもあまり上手くいかなかった。
私はあれこれ色んなキャラに対する妄想をする。
その為、同担拒否云々の配慮がそもそもできない。かつ普通に下品なツイートもする。一般的に見てクオリティの低いイラストも投稿する。
こんな人間なので、あまり反りが合わなかった。
オシャレなタグ画も作れないし、みんなが送ってるような内容のリプも送れなかった(ノリが合わないのかな…)
またTLで皆が楽しくエアリプを送りあい楽しんでる様を、空虚な目で眺めた。羨ましかった。
結局、みんなブロ解した。交流もほぼなかったし。


▼どうしても得られなかったからこそ生じる妬み
てなわけで、私は友達ができなかった。受け身の姿勢で申し訳ない。もっと積極的になればもう少し変わったのかもしれない。
しかし解釈違いを多く見ることで精神がすり減ること&劣等感によりもう人に歩みよる気力が無くなってしまった。

友達ができなかったので、現場に言った時にオタク達が仲良く楽しそうにしてるところを見ると嫉妬と虚しさでいっぱいになってしまう。羨ましい。私もあなた達みたいに楽しくやりたかった…(己の無力さ&積極性のなさが全ての原因)

▼歩み寄ってくれた優しい方々
数名、色々な媒体で歩み寄ってくれた方々がいる。
詳細は伏せる。
大体が『界隈で上手くいかなくて…』とか『今界隈に馴染めなくて…』といった話をしてくれた。
悩み相談的な側面が大きかった。
勇気をだして私のような人間に歩み寄ってくれたことは本当に、とっても嬉しかった。ありがとうございます。
しかし、もしかして私は『友達がいないこの人になら、界隈であったあれこれを愚痴ることができる存在』として見なされてるのではないかと考えるようになってしまった。
ちなみに、前述したトラブルがあったFFの人との基本的な話の内容もこんな感じだった。
私と話す時は基本的に『界隈と分かり合えない』『フォロワーとの交流が正直めんどくさくて…』などの相談だった。しかしその人は私にあれこれ話した後、普通にTLで色んな人にエアリプを送り合い気持ちの良いコメントを送っている。 私にしか相談できなかったんだろうな。でも私にもたまにはそういう綺麗な面で接して欲しかったな…

私に話すことでその人の苦しみが軽減されるのなら、(役に立てるのなら)それで良い。
でも正直、私は『愚痴を聞く係』というよりも、キャラクターの話をしたかった。
それに加え、私が悩みを伺ったところで、私はその人たちの仲良しグループ(その人にとっての普段仲良くする相手)には決してなれないのである。
あくまでその人たちは普段仲良くしてる人たちがいて、その中であったモヤモヤを私に話してくれてるのだ。あくまで私に『友達がいない』ことが前提であり、『捌け口』としての扱いだ。

色々な人から話を伺う中で、私が強く思ったことは正直「人間関係ってほんとうに大変だな…」って気持ちだった。正直恐れがより高まった。
でも歩み寄ってくれたことも、私が役に立てた(?)ことも嬉しかった。友達にはなれなくてもいいので…


また、たまにお題箱で優しいメッセージをくれる方がいる。
以前ちょっと苦しいので優しい言葉が欲しいです…なんて恥ずかしながらツイートしたところ、とても優しいメッセージをくださった方がいた。
本当に嬉しかった。直接お礼を言わせて欲しいし、欲を言うなら仲良くなりたかった。
でも仲良くなり方が分からない。匿名性だから仕方ないのだけれど……
こうして歩み寄ってくれて、日頃私の考えに共感してくれる人。そんな人とこそ私は仲良くなりたかった。きっと、私もそんな人の考えに共感できることも多いだろうし…… でもそれができない。悲しい。

▼それでも続ける理由→
真剣に熱心に、ひとつのものを愛していたことを記録しておきたい

まあこういうことが続き、Twitterというものに常に苦しみが伴うことになった。
友達はできない!劣等感はすさまじい!それ故に他人が怖い!
それでもやめられない理由がある。
それは、『大好きな人達に対する想いをどこかに記録しておきたい、私が何かを全力で愛した形を残しておきたい 』という気持ちがあるからだ。
それなら日記帳でやれるだろ!って話だけれど、やっぱり私はまだ分かり合える人との出会いを望んでいる。諦めきれない自分が嫌になる。諦められたら楽になれるのに……
まだまだ大好きな気持ちは止まらない。やりたいことも沢山ある。下手でもいい。馬鹿にされでもいい。もう、共感が得られなくてもいい。(とっくに慣れたよ……)
私は私のやりたいことをやり、言いたいことを言う!愛がある限り…
『想い』そのものには上手いも下手も優劣もないので。

▼現状
今心身ともに重傷である。
ペンが握れず絵がかけない、集中力が続かず文章も打てない。音楽もできない。ゲームにログインできない。趣味に没頭することができない。
そのうえ、『インターネットでさえも上手くいかなかった』という現実がさらに私を苦しめている。
ゲームやりながらも『私、こんなに好きなのに、こんなに愛してるのに、いくらでもお話できるのに、それが出来る相手とはほぼ出会えなかったんだ…』なんて凹んでしまう。
もうどうしようもないのである。

でも、『大好きな人達に対する想いをどこかに記録しておきたい、私が何かを全力で愛した形を残しておきたい 』という思いは相変わらずある。
だから、やめることができない。

▼離脱したい、でもどうせできないからこそ向き合い方を変えていきたい

やめることができない、でも苦しい。
ならTwitterというものとの向き合い方を変えるべきだ。
どうすればいいのか絶賛悩み中だけれど、
『もう失うものも何も無いのだから他人の目を気にせずやりたいことひたすら投下しまくって気が済むまでやり続ける』
のが1番だと思う。
友達がいない為、失うものなんてほぼないので!

哀れで空虚で望むものは手に入らなかったけれど、私の愛を残す場所として、1種の自己陶酔として、上手く付き合っていきたいと思う。