そのまま進むしかないんだよ

皆さんこんばんは。今日も楽しくTwitter、やっていますでしょうか。沢山のものを見て色々な輝きに目を焼かれ、精神をすり減らされ、自我が潰れそうになったりしてないでしょうか。私は、正直、潰れちゃいそうです。

去年の12月頃に載せたnoteと内容が酷似する予定なのだけれど、あの頃から基本的には変われてないんだなあと落胆のため息が出そうです。でもね、ちょっとは変われたんだよ。ほんのちょっとだけ…
12月の文章見てるとこのとき相当参ってたんだろうなあ…というのが嫌ほど伝わってきてさっき読み返したときとても恥ずかしかった。あの頃よりはもうちょっとだけ落ち着いてられてると思う。

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私は相変わらずTwitterをやっている。
もう辞めたいと言いながらもやはり逃げ場はここにしかないので文句をぶつくさ言いながらも図太く居座っています。厄介姑か?
進展したのはちょっと前にやけくそモードに突入したことです。冬〜春辺りにあった就職活動とかいうクソイベを終わらせたあと吹っ切れて今のうちにやりたいことやっとかないと勿体ないという気持ちが大きくなった。てなわけで躊躇していたあれこれもネットに全部公開するようになったし、髪の毛の色も浮かれぽんちピンクにした。
このようにとりあえずやりたい!と思ったことはできる範囲でなんでもやろうとした。今もそうしている。やりたいことを躊躇なくやると気分がスッキリするので、自己肯定感ちょっと上がる気がする。やりたいことやったもん勝ちなんだよ。自分のイメソンを勇気100%にしたい。

やりたいことをやろうという気が強くなってきてしまうと、無論、インターネットに対する欲も出てきてしまう。私は何度も何度も言ってるように価値観の近い人と出会い、狭く深くひっそりと楽しくやりたいのである。そう、またしても良くない欲に塗れるようになってしまい、目に見えないネットワークを意識するようになってしまったのである。

5月6月に現場があった。7月にnoteにも書いた気がする。それが精神的にあまり良くなかったのだと思う。
たくさんの楽しそうなオタク達を前に、私はまたもや何者にもなれなかった、同志を見つけることも見つけられることもできなかった哀れな自分の存在を強く意識してしまった。
私はあの人達みたいになりたかったからTwitterやってたんじゃないのかなあ?って自問自答がぐるぐるぐるぐると頭を回った。友達(?)と談笑する人。写真を撮る人。とてもとても楽しそうで羨ましかった。私は6公演、ほぼほぼ一人で現地に赴いていたのでそりゃあもう凄い数の楽しそうな人達を目にした。
あの広い会場でただひとりぽつんといる自分の姿が、Twitterやインターネットの中にいる情けない自分と重なってしまった。ヤケクソモードに入り目を背けていた現実をまざまざと見せつけられた気がしてとても苦しかった。(そんなに苦しいなら現地行くな!て話なんだけどやっぱそこは譲れなかった。そこに足を運び推しへと精神を捧げること、その行動こそに私の生きる喜びが詰まっていて、そしてここでようやく私の生きる意味を感じることが出来るので。)

去年からアカウントが増えたり減ったりTLの色が大きく変わったり、大幅な変化を迎えてきたが、やはり私の置かれている状況というのは全然変わらないんだということを痛感している。当たり前じゃんね。己にしか理由がないんだから…

Twitterは今日も相変わらず、楽しそうでいる。
TLを見るとみんながリプライを送り、エアリプを送り、和気藹々としている。冗談を言い合う人たち、お互いに絵を褒め合う人たち。正直、一体どこでそんなに仲良くなれるんだ?ってくらい仲良くなっててびっくりしている。画面の上部を見れば紫のもくもくとしたアイコンがあり、どうやらそこでたのしく通話しているらしい。友人やフォロワーと遊んだときにとったお写真や一緒にやったゲームのスクショも流れてくる。とても、とても楽しそうで、本当に羨ましいなあ、って思ってしまう。

気がついたらもうインターネットでの振る舞い方もわからなくなっている。昔はもっと楽しくやれてた気がするのに、段々屈折してきている。何を呟けば?何を載せれば?どうしたら私は皆のように楽しくなれるのだろう。歩み寄り方もわからなかった。なにもかもがわからなかった。
私は私の言いたいことしか言ってないし、やりたいことしかやってこなかった。それではだめだった。TLを見てるとまるで別の世界の生き物を見てるような気持ちになる。というか、そんな白い目で見られてるのはこっちの方だろう。また見えない視線に怯える日々が始まっている。  

Twitterを見てると色んなものが本当に羨ましくて、眩しくて、良いなあって惨めながらも真剣に思ってしまう。
インターネットくらいにしか逃げ込む見つけられなかった底辺なのにそこでもこんなみすぼらしいのかと、またもや落胆するようになってしまった。 そもそも一体どうなったらこの虚無感を払拭できるのかもわからなくなっている。この世には無数に凄い人たちがいて劣等感や肩身の狭さを無限に感じられるというのに、立ち直る術がわからないとなればずっとずっと苦しむだけじゃないのだろうか。自分の機嫌は自分で取らなければならないのに、それがわからないのは酷く我儘で情けないと思う。

一体私は何を求めてインターネットにいるんだろう。居場所が欲しかった。ただそれだけだった。チヤホヤされて褒められたいわけでもなかった。すごい人間になんてなれないことはとっくの昔からわかってる。嫌ほどわからせれている。でももしかしたら、そんな曖昧な"居場所"という概念が余計に苦しみを増しているのだと思う。何を持って居場所とする?そんなのわからない。正直なところインターネットに居場所なんてものはない。私の居場所は自宅の自室のベッドの上だけです。
多分ネットの居場所とはきっと自分が安心していられるコミュニティのことなんだろう。その虚ろな安心感を求めて私は日々ネットの海をさまよっている。何も手には入ってないけれど。…この旅はいつまで続くんだろう。この苦しみは終わることがないのだろうか。惨めで悲しくてどうしようもなくて涙が出てくるな。

ここまでずっと昨年と言ってることが何一つ変わってない。そしてまた行き着く先が私がもっと魅力的な人間だったらよかったのに!なんてありもしない"もしも"を願うことなのである。願っても無駄でしょう。そっちの方向に努力したとて何も実らなかったことはその身をもって知っているでしょう。ああまた馬鹿なことをしているな…と我ながら目も当てられない。今ここにあるどうしようもなく何も無かった己を受け入れて、そのまま突き進むしかないんだよ…

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またもや山も谷もオチもない文章を並べ立ててしまった。まとめるのなら「Twitter見てると私が手に入れられなかったものを手に入れて楽しんでる人達が沢山いるから嫉妬の炎で体が焼かれ心身ともに崩壊しそう、苦しいよ、でもこんな人間なんだから受け止めるしかないよね。嫉妬する時点で望んじゃってるってことなんだから、望むことさえもはやくやめれたらいいね。この話何度してんだ!いい加減にしろ!」って己への怒りの話でした。 ここだけでよかったな。


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そうさ100%勇気
もう振り向いちゃいけない  
僕たちは僕たちらしく
どこまでも駆けてゆくのさ

勇気100%の歌詞って恐ろしいほど身体にしみる。私も早くこれになりたい。 




オワリ