労働

労働に関する話をする。
8月は労働に追われ一瞬で過ぎ去ってしまった。元々毎年夏休み期間はスーパー労働WEEK(MONTH)だったのに、流行り病による濃厚接触者が次々と現れスタッフの数が減ってしまったせいで、その穴を埋めるべく元気な私はより一層モリモリ働かなければならなくなった。仕方ないね。
四捨五入したら正社員になるくらいのハードワークをこなしながら、「私にはやりたいことがあるのになぜこんなに働いているのだろう……」なんてでっかいため息をついていた。いうてやることなんてゲームと読書くらいなんだけど。(趣味を充実させてはじめて人生は、生活は充実していると言えるんだから仕方がないよね。)たくさんお休みほしいゲームやりたい本読みたいだらだら昼寝しまくりたいなんて思いながら、しかし、労働の場が全くなくなってしまったらそれはそれで大変なことになってしまうのではないか…と冷や汗が流れてきた。金銭面的なヤバさは当たり前なんだけれど、それ以外の理由で。

労働は好きだ。※ただし、適度な労働に限る。ハードワークはイヤ!
その理由は、やるべきことをやれば私はその場にいてもいい存在に自然となれるからだ。私自身がここにいていいのかと不安に思う必要もなく、当然のようにその場にいていいことになる。ときには居てくれなきゃ困ると言われるほど必要とされる。それが、私にはとても嬉しいことだった。

人とコミュニケーションをとるのがとても苦手だ。なんて返したら正解なのかわからなくていつもいつも不安でいっぱいだ。どんな言葉を返したら、「一般の」「普通の」会話として成立するのかがわからない。ここでどんな相槌をうてば、どう話を転換させていけば、この話は上手くいくんだろう?私の口からでる言葉は世間的に正しい?みんなの属する「普通」の中にちゃんと属すことができている?なんて常に頭の中でクエスチョンマークがぐるぐるぐるぐる回っている。ずっと昔からこうだった。だから私は自信が持てなくて、怖くて、コミュニケーションをとる機会から逃げてきた。学校の教室にいても自分はこの空間に完全に混ざることができていないんじゃないかと怖くなって、またそうして私のような不純物が混じることで教室の空気が悪くなってしまっているんじゃないかと一種の被害妄想ともいえる自意識過剰な思い込みをしてきた。今もそんな思い込みは常に頭を回っている。
自分なりに色々考えて発言をしたり、相槌を打っているのだけれど、私の導き出した正解が必ずしも他の人にとってもそうであるとは限らないよね。結局頭を回して色々考えてひねりだしてもその答えに自身が持てないのだから、マジで考えるだけ無駄というかエネルギーを浪費しているだけなんだけど。
「考えすぎ」の一言で一掃されるような悩みなのだけれど、考えちゃうもんは考えちゃうんだから仕方ないんだ。そして、世間の皆さんはそんな頭を悩ませなくとも咄嗟にでた言葉で上手くやっているのだから大したもんだと思う。こちとら考えすぎと言われるほどに頭を使っても、そんなうまくやれないんだ。不器用すぎて。

その点、労働の場は非常に楽だ。仕事としてやるべきことをやっていればその空間に属することができる。ちゃんとこの場には正解がある。私自身も「やるべきことをやるためにここにいなければならない(ここにいてもいいんだ)」と堂々とすることができるので不安になることもない。もちろん業務以外にも他のスタッフの人とコミュニケーションをとる機会があるが、まずは業務連絡等で交流する段階からはじまるので、そこまでプライベートなおしゃべりをするハードルは高くない。といっても緊張はするけど。
ここで働くようになってから、以前に比べて大分自分から他人に話しかけることができるようになった。それも業務連絡で自分から話しかけなければならない機会が、そして私が自分から話しかけてもそれは間違っていることじゃないんだと認めてくれる空間があってくれたからのように思える。
社交性と呼ぶにはとてもわずかなスキル(?)だけれど、ごくわずかにでもそうした人と会話をするきっかけをつかむことはできるようになった。
だから、この今働かせてもらっている場所には感謝してもしつくせない。
ここでようやく、社会的に存在してもいい人間なのだとごくわずかに思うことができるのだから。

…….だからといってびっくりするほどのハードワークは御免だけれど!!!
程よい労働、程よい休息、バランス大事!


オワリ