新しいものに手を出すことに何でこんなにも躊躇ってしまうのだろう

新しい作品に触れてそれを咀嚼し、飲み込むことにかなりのエネルギーを使うようになった。行っても口に含むくらいで、噛み砕いている途中で疲れてそのまま吐いてしまう。栄養を吸収できる段階まで進まない。だからそう簡単に新たなジャンルに踏み出すことが出来ないで、ずっとずっと同じところに居座っている。世の中では目まぐるしく旬のジャンルが入れ替わっているが、その入れ替わりを横目に、または全く別の世界のものとしてそれらを眺めている。
決してそうした流行りのジャンルを馬鹿にしているわけではない。はまれるのならはまりたいし、時代の流れにのりたい。(みんなとっても楽しそうじゃん…)だがしかしここまで思っていても、身体がついていかない。

住み慣れた場所は当然過ごしやすくて快適で、何より安心だ。
どこか新しいお店にいくよりはいつもの喫茶店に行ってほっと一息ついたほうが低リスクだし必ず一定数の幸福を得ることが出来る。外れることはまあほとんど無いし、外れたとしてもまあたまにはそういうこともあるよね…と軽く流せる。
同じ曲を何度も聞く。同じシーンを何回も見る。その度に好きだなぁ…と心の底から思う。客観的に見たら決まった道筋を繰り返し歩いて往復しているだけだろうが、案外これも楽しくて、幸せなものだ。

だが、まあ流石に単調すぎやしないか?と思うこともある。そういうときにこそ新しい界隈に手を伸ばすには丁度いい頃合いなのかもしれないが、基本ソシャゲなら1ヶ月持てばいいほうだ。大体は1ヶ月ほどを目処にピタリとやらなくなり、幽霊部員と化す。また栄養を吸収する前に離れてしまう。

新しいものを吸収するのには体力がいる。またいちから沢山のキャラクターを覚え、ストーリーを見て、解釈をして、頭を捏ねくり回す。ストーリーを把握してそれを受けて思想を膨らましている時が最も楽しい時間なのだが、そこまで考えこめるほどまでのめりこむことができないのだ。体力の限界が訪れてしまう。そうして疲れたら、またいつもの推しに会いにいつもの場所へとふらふらと戻っていく。何故かその時やたらとテンションが高い。異文化を知ることで自文化の良さを再認識する。

随分と長い間ずっとひとつの場所を本拠地としてきたが、昨年ようやくまた別の場所を見つけた。領土を広げることが出来た。これはもう私にとってはだいぶ凄いことだ。それから1年たった今、その新しい場所にあともうしばらくはいれるなぁ〜と大の字で寝っ転がっている。多分来年もこの調子だろう。あぁ、色んなものを吸収できて楽しそうだなぁ〜羨ましいなぁ〜と周囲に羨望の目を向けて、1人取り残される自分を少しだけ哀れに思うのだろう。

どうしたら変われるのかわからない。変わるべきなのかもわからない。変わらなくてもいいのだとも思う。だけどこうして気になってしまうことの根底には、常に楽しくありたいという気持ちがあるからだろう。好きなものを見て愛していたい。それが私の1番の幸福だからずっとそうしていたい。